古代インドの戦場で歌われた『バガヴァッド・ギーター』という生の哲学
『バガヴァッド・ギーター(神の歌)』は、ヒンドゥー教の聖典の中でも、きわめて特異な性格をもつ書物です。
それは戒律や教義を体系的に説く経典というより、極限状況に置かれた一人の人間と、神との対話として語られているからです。
この書は、インド最大の叙事詩『マハーバーラタ』の一部として位置づけられています。
『マハーバーラタ』は、王族同士の血縁と宿命が複雑に絡み合い、最終的に避けがたい大戦争へと至る壮大な物語であり、インド思想の精神的な母胎とも言える存在です。
これに対して、もう一つの国民的叙事詩『ラーマーヤナ』は、理想の王ラーマの徳と生を描いた、より明確な価値観をもつ英雄譚です。
ギーターが含まれる『マハーバーラタ』は、それとは対照的に、矛盾や葛藤に満ちた、きわめて人間的な世界を描いています。
『バガヴァッド・ギーター』の物語の舞台は、その『マハーバーラタ』の最終局面・古代インドの戦場です。
剣を落とした戦士・アルジュナの問い
主人公アルジュナは、比類なき弓の名手であり、正義の側に立つ戦士です。
しかし戦場に立った彼の目に映ったのは、単なる「敵」ではありませんでした。そこには、かつて教えを受けた師、血を分けた親族、敬愛してきた人々の姿がありました。
その瞬間、アルジュナは剣を落とします。
「なぜ私は戦わなければならないのか。」
「勝利の先に、いったい何が残るのか。」
「そもそも、私はなぜ生まれてきたのか。」
これは単なる戦争への恐怖ではありません。
生きる意味そのものが崩れ落ちる瞬間です。
この迷いの只中で語りかけるのが、御者として同行していたクリシュナです。
彼は次第にその正体を明らかにしていきます。クリシュナは単なる助言者ではなく、宇宙の理そのものを体現する存在・「神」でした。
ブラフマンとアートマン・個と宇宙の一致
クリシュナが説く教えの核心は、「ブラフマン」と「アートマン」という二つの概念にあります。
ブラフマンとは、宇宙を貫く根源的実在です。
始まりも終わりもなく、生成と消滅を超えた、世界そのものの原理です。
アートマンとは、人間一人ひとりの内に宿る魂です。
それは孤立した「私」ではなく、ブラフマンの分有であり、本質においては宇宙と分かたれていない存在です。
生と死、勝利と敗北、善と悪。
それらはすべて現象にすぎず、魂そのものは滅びません。
この理解に至ったとき、アルジュナは迷いを消したのではなく、迷いを抱えたまま、その先で行為を引き受ける決意をします。
それがギーターの示す「行為の哲学(カルマ・ヨーガ)」です。
非暴力の指導者が愛した「戦場の書」
この戦場の書を、生涯の愛読書とした人物がいます。
インド独立の父と呼ばれる マハトマ・ガンディー です。
ガンディーは『バガヴァッド・ギーター』を、暴力を肯定する書とは読みませんでした。
むしろそれを、外なる敵ではなく、内なる恐れや執着と向き合うための書として受け取っていました。
行為をやめるのではなく、
結果への執着を手放して行為する。
この姿勢こそが、ガンディーの非暴力思想を支える精神的な柱だったのだと思います。
私自身の問い・なぜ、仏陀はアートマンを否定したのか
ここで、私自身の体験を重ねておきたいと思います。
以前から、松村寧雄先生から、仏陀が悟りを得たときの話を聞くたび、強く心に残る部分がありました。
仏陀は、アートマンを否定して「無我」に至った。
そして、説法するようにブラフマンに諭された。
その話を聞くたびに、私は長いあいだ疑問を抱いていました。
なぜ、仏陀はアートマンを否定したのか。
ヒンドゥー教の核心であるはずのものを、なぜ切り捨てる必要があったのか。
この問いは、長く私の中で宙づりのままでした。
しかし2025年11月、あらためて『バガヴァッド・ギーター』を読み通したとき、この疑問は私なりにほどけました。
仏陀は、ヒンドゥー教を否定したのではありません。
深く受け取り、そのうえで乗り越えたのだと腑に落ちたのです。
アートマンという概念は、魂の実在を示す強力な道標です。
しかし同時に、それは掴もうとすれば執着にもなり得ます。
仏陀は、アートマンを踏み台として、その先へ進んだ。
無我とは否定ではなく、徹底した解放だったのではないか。
そう理解したとき、ギーターと仏教は、対立ではなく、連続する精神の運動として私の中で一本につながりました。
魂は、対話の末に道を引き受ける
アルジュナは、神との対話を経て「戦う」ことを引き受けました。
仏陀は、神との対話を経て「語り、歩く」ことを引き受けました。
ガンディーは、ギーターを胸に「非暴力で行為する」道を引き受けました。
答えは一つではありません。
しかし共通しているのは、魂との対話の末に、自らの人生を生きる覚悟を定めたという一点です。
『バガヴァッド・ギーター』は、今もなお私たちに問いかけています。
あなたは、どの戦場に立ち、
どの心で、この人生の行為を引き受けますか。
投稿者プロフィール
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1967年千葉県松戸市生まれ。青山学院大学卒業後、大和証券系VC、ワタミ、CCCを経て31歳で株式会社ジップを創業。22年間ブックオフ加盟店4店舗を運営し、2020年事業譲渡後、株式会社本領として新たなスタートを切る。
現在はマンダラチャート認定コーチとして、仏陀の智慧を経営に活かす活動や、合氣道の指導、経営戦略・人生論の研究を続けている。noteやSNSで日々の学びと気づきを発信している。
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