原始仏教における「慈悲」の原型をたどる

「抜苦与楽(ばっくよらく)」「利苦得楽(りくとくらく)」。

この言葉を聞くと、多くの人が
「慈悲の実践」
「人を救うこと」
といったイメージを抱くのではないでしょうか。

では、これらの考え方は、原始仏教、すなわちブッダ自身の言葉の中に存在しているのでしょうか。

結論から言えば、言葉そのものはありません。
しかし、その意味は確かに存在しています。
しかもそれは、仏教の中心思想そのものなのです。

抜苦与楽という構造

まず、言葉を整理してみます。
• 抜苦:苦しみを抜くこと
• 与楽:安らぎ・楽を与えること

ここでいう「楽」は、快楽や満足のことではありません。
心が鎮まり、揺れなくなった状態。
仏教的にいえば、「涅槃」に通じる静けさを指しています。

この構造は、実はそのまま、ブッダが最初に説いた教えと重なっています。

四聖諦は「抜苦得楽」の教え

ブッダの教えの根幹である四聖諦は、次のように要約できます。
1. 人生には苦がある(苦諦)
2. 苦には原因がある(集諦)
3. 苦は滅する(滅諦)
4. その道がある(道諦)

ブッダは、世界の構造を説明しようとしたのではありません。
また、誰かを救済しようとしたのでもありません。

ただ一貫して、

「私は、苦と、苦の滅のみを説く」

と言い続けました。

つまり、
苦を見つめ、原因を見抜き、
その結果として苦が抜けていく。

そのとき現れるのが、条件に左右されない「楽」です。

四聖諦そのものが、体系化された
抜苦 → 得楽 の教えなのです。

苦は避けるものではなく、見抜くもの

原始仏教の特徴は、苦を否定しない姿勢にあります。

苦を無理に消そうとはしません。
快楽で上書きしようとも言いません。

ただ、「苦をそのまま知りなさい」と説きます。

『ダンマパダ』には、次のような詩句があります。

一切は苦であると知り、
智慧によってこれを見抜くとき、
人は苦より離れる。
これが清らかさの道である。

苦を排除したから楽になるのではありません。
苦を正しく見抜いた結果、
苦に縛られなくなるのです。

これは「利苦得楽」という言葉が示している世界と、ほとんど同じ地点に立っています。

慈と悲は、もともと分かれていた

仏教では「慈悲」という言葉がよく使われますが、原始仏教ではこの二つは明確に分けて語られます。
• 慈(メッター)
 すべての存在が安らぎにありますように。
• 悲(カルナー)
 すべての存在が苦から解放されますように。

悲は「苦を見捨てない心」。
慈は「安らぎを願う心」です。

対応させてみると、
• 悲 = 抜苦
• 慈 = 与楽

抜苦与楽は、後代の美しい標語ではなく、
原始仏教の実践の骨格そのものだといえます。

「林の中の象」という生き方

ブッダは、群れによる慰めを勧めませんでした。

『ダンマパダ』には、次のような言葉があります。

愚かな者を道づれにするな。
独りで行くほうがよい。
孤独で歩め。
悪をなさず、欲少なくあれ。
林の中にいる象のように。

ここに描かれているのは、
苦を避けず、
他者に依存せず、
静かに自立して歩む姿です。

この「孤独」は不幸ではありません。
誠実さと精神的自立の証です。

そして、この在り方そのものが、原始仏教における「楽」なのです。

救わないという慈悲

ブッダは「私が救う」とは言いませんでした。
「信じなさい」とも言いませんでした。

ただ、苦を正しく見る道を示しました。

その道を歩いた結果として、
人は自然に苦から離れ、
静かな楽に至ります。

だから、こう言えるのかもしれません。

抜苦与楽とは、
何かをしてあげることではありません。

利苦得楽とは、
苦を避けない生き方の帰結です。

慈悲とは感情ではなく、
姿勢であり、生き方そのものなのです。

投稿者プロフィール

本領亮一
1967年千葉県松戸市生まれ。青山学院大学卒業後、大和証券系VC、ワタミ、CCCを経て31歳で株式会社ジップを創業。22年間ブックオフ加盟店4店舗を運営し、2020年事業譲渡後、株式会社本領として新たなスタートを切る。
現在はマンダラチャート認定コーチとして、仏陀の智慧を経営に活かす活動や、合氣道の指導、経営戦略・人生論の研究を続けている。noteやSNSで日々の学びと気づきを発信している。