『イノセンス』は『攻殻機動隊』の続編であり、とても思索的な映画です。

なかでも強く印象に残るのが、「林の中の象」というイメージだった。

『イノセンス』は、筋を追う映画ではない。
事件の解決よりも、「人間とは何か」「魂とは何か」という問いが、静かに観る者に差し出される。

少女型アンドロイドが暴走し、人間を殺す。
その背景には、実在する少女たちのゴースト(魂)を違法にコピーし、商品として利用するという、深い罪があった。

この物語は、「機械が人間になろうとした悲劇」ではない。
むしろ、「人間が、他者の魂を道具にした悲劇」だ。

その世界の中で、バトーはほぼ全身義体の存在として立っている。
人間らしさを失っている側にいながら、
犬を愛し、仲間を守り、姿なき魂の気配を信じ続けていた。

『ダンマパダ』に現れる「林の中の象」

この「林の中の象」という比喩は、仏教経典『ダンマパダ』にもはっきりと現れる。

330番には、こう記されている。

『愚かな者を道づれにするな。
独りで行くほうがよい。孤独で歩め。
悪をなさず、欲少なくあれ。
林の中にいる象のように。』

ここで語られている「孤独」は、
私たちが日常で使う寂しさや孤立とは、まったく違う。

それは、
誠実さと精神的自立の証としての孤独だ。

象は、力を持つ。
だが、むやみに他を害さない。
大きいが、誇示しない。
群れを離れても、己の足で立っている。

つまり、ここでの象は、
• 力を持ちながら、害さない者
• 群れに依存しない成熟者
• 欲を増やさず、静かに歩む存在

の象徴だ。

林の中の象は、
逃げているのではない。
争わないことを、選んでいる。

『イノセンス』と仏陀の言葉が重なる場所

『イノセンス』の世界は、極度にネットワーク化され、つながりすぎた社会だ。
その中で失われていくのは、「独りで在る力」なのかもしれない。

バトーは孤立している。
しかし、孤独ではない。

他者と関わりながらも、依存しない。
力を持ちながらも、破壊を目的としない。
理解されなくても、自分の歩幅で歩き続ける。

それはまさに、

林の中の象のように、
静かに、堂々と歩む姿

そのものだ。

孤独は、徳である

仏陀の言葉が示しているのは、
「一人になれ」という命令ではない。
• 悪をなさず
• 欲を増やさず
• 群れの熱狂に飲み込まれず

自分の足で立ち、歩くこと。

それができる者だけが、
孤独を恐れずに生きられる。

林の中の象のように、
他を害することなく、
静かに、堂々と歩む。

それは修行者だけの理想ではない。
技術と欲望が過剰になったこの時代を生きる私たちにとって、
大切な生き方の指針なのだと思う。

投稿者プロフィール

本領亮一
1967年千葉県松戸市生まれ。青山学院大学卒業後、大和証券系VC、ワタミ、CCCを経て31歳で株式会社ジップを創業。22年間ブックオフ加盟店4店舗を運営し、2020年事業譲渡後、株式会社本領として新たなスタートを切る。
現在はマンダラチャート認定コーチとして、仏陀の智慧を経営に活かす活動や、合氣道の指導、経営戦略・人生論の研究を続けている。noteやSNSで日々の学びと気づきを発信している。