― 道元禅と“生命の現実”を、マンダラの視点から読む ―

道元『正法眼蔵』の名句

「花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり」

を、マンダラ思考と重ねながらお話しします。

まず、道元という人物

道元(1200–1253)は、日本曹洞禅の開祖。

比叡山での修行に疑問を抱き、中国・宋へ渡り、ただ坐ること—只管打坐(しかんたざ)を核心とする禅を日本に伝えました。

道元には有名な母子の逸話があります。

「死人の出たことのない家を探してきなさい。そこなら悲しみを訴える相手がいるでしょう」

これは“どの家にも死は訪れる。喪失は人間の普遍的現実である”という真理を示しています。

生命の現実に目をそむけず、ただあるがままを見ること。

そこに道元の深い慈悲があります。

“愛されても散る花、嫌われても生える草”

この一句が示すのは、生命の非情・無常の真理です。

  • どれほど愛されても、花は散る。
  • どれほど嫌われても、草は生い茂る。

そこには「善悪」「良し悪し」の判断はありません。

生命は、人間の期待や感情とは無関係に流れていく。

この「現実をそのまま受け止める態度」は、

仏教の 四諦の第一=苦諦(苦を観察する) に重なります。

マンダラ思考も、「あるがままの現実に向き合う」という姿勢からはじまります。

道元の慈悲 ― “喪失と共に生きる”

先ほどの母子の逸話は、厳しさの裏に深い慈悲があります。

「人は皆、喪失を抱えて生きている」

それがわかるとき、他者の悲しみが自分の中にも響き始めます。

マンダラの「人格」領域が磨かれるのは、

こうした“悲しみを受けとめた者の言葉”に触れた瞬間です。

この一句は「人生の中心核」である

花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。

この一句は、私の人生観を深く揺さぶりました。

生命は「私の希望」とは無関係に流れている。

だからこそ、私は 今この瞬間を真剣に生きる。

マンダラコーチとして、そして、本領旅人として歩む私の中心核です。

投稿者プロフィール

本領亮一
1967年千葉県松戸市生まれ。青山学院大学卒業後、大和証券系VC、ワタミ、CCCを経て31歳で株式会社ジップを創業。22年間ブックオフ加盟店4店舗を運営し、2020年事業譲渡後、株式会社本領として新たなスタートを切る。
現在はマンダラチャート認定コーチとして、仏陀の智慧を経営に活かす活動や、合氣道の指導、経営戦略・人生論の研究を続けている。noteやSNSで日々の学びと気づきを発信している。